せっかくの休日だというのに残念ながら分厚い雲が空を覆う薄暗い昼間のことだった。 コンコン、と家のドアを叩く音が聞こえは玄関のドアを開けた。 「久しぶり」 「カ、カカシ!」 開けたドアの先には珍しく私服姿のカカシが立っていた。 「あっ、ちょ、ちょっとまってて!」 ふと自分の姿を思い返せば、思い切りすっぴんで部屋着姿のまま。 そんな姿をカカシに見せるわけにもいかず、カカシの返事も待たずに慌ててドアを閉めた。 ハッとして玄関の棚に裏返しのままになった一枚の紙を思い出した。 数日前、あまりにもショックが大きすぎて玄関に落ちたままだったのをつい先日拾い上げ、なおもそのまま棚の上に置きっぱなしだった。 おそるおそる紙に手を伸ばし表に返せば、カカシの達筆な字で今日の日付と会いに行ってもいいか尋ねる短い文章が書かれていた。 「しまった・・・」 後悔しても時間は戻らない。 とにかく今は急いで部屋に戻り服を着替えて化粧を施し、訳あって荒れていた部屋を取り急ぎ片付けた。 「ごめんね、おまたせ!」 「あー・・・大丈夫だった?」 「大丈夫!カカシこそ忙しいのに」 「いや、時間が合って良かったよ」 再びドアを開けてカカシを招き入れたが、なぜだか二人してぎこちない笑顔を浮かべているのに気が付いた。 だって仕方がないだろう、と心の中で頭を抱えた。 どうしてもあの女性の影が頭をよぎる。 それだけで喉を締められるような息苦しさに、思わずクセになってしまったため息が出てしまいそうだった。 なんとか笑顔を取り繕ってカカシをリビングへ招きダイニングテーブルへ案内した。 「あ、これ。この前のタッパー。美味しかったよ、ご馳走様」 「わざわざありがとう。今度また持っていくね」 「うん、いつも助かる」 そういって浮かべた微笑みにあの日のことが一瞬フラッシュバックして、受け取った紙袋を思わずギュッと抱きかかえた。 「どこか適当に座ってて」 ふ、と息を吐いて力を抜き、ひとまず台所へ向かった。 受け取った紙袋を置きそのままお茶を淹れようと準備をしていると、なにやら視線を感じ顔を上げた。 すると先ほどの微笑みはどこへやら、なにか考え事をするかのような目でカカシがこちらを眺めていた。 「?」 視線の先を目で追えば、のことを見ているというよりその手前に置いてある食洗器棚を見ていた。 そういえば洗うだけ洗って食器棚に戻し切れていないお皿が出しっぱなしで、慌てて食器棚に戻した。 「・・・誰か来てたの?」 「え?ううん、なんで?」 「そのお皿の量、一人で使ったのかなって」 「あ・・・うん、バタバタしてて片付けられてなくて、アハハ・・・」 カカシに指摘されてさすがに顔が熱くなる。 だらしない奴だと思われてしまっただろうか。 きっとあの人はしっかりしているんだろう。 部屋も片付いてて、髪も綺麗で、なにもかもが完璧で・・・。 「そしたら外にお茶でもしに行く?」 「あ・・・うん、そうだ!そしたら行きたかったカフェがあるの。そこでもいい?」 「もちろん。また新しいお店教えてよ」 まだ荒れかけの家で悶々とした気持ちでカカシといるより、外にいたほうがまだましだろう。 簡単に出かける準備をして二人は家を出ると、曇天の下、二人並んで街へ繰り出した。 「会社の人に教えてもらったんだけど、美味しいコーヒーを淹れてくれるんだって」 「そう。ちょうどコーヒー飲みたかったんだ」 「そっか、よかった。・・・・・」 「・・・・・」 なんだか会話が続かない、気まずい時間が続く。 二人の間の距離もなんだか微妙に空いていて、その距離を詰める訳でもなく手を繋ぐわけでもなく。 太陽も分厚い雲に隠れていて薄暗く、それに比例するように気持ちも沈んでいく。 家の中が荒れていたのも、部屋が片付けられていなかったのも、そもそもカカシが家に来るのを知らなかったのも、その原因はあの現場を目の当たりにしてしまったことにある。 なにかやろうとしてもあの現場が脳裏に焼き付いてどうしても手が止まってぼーっとしてしまう。 「・・・・・ッ」 あの人って?と聞こうと息を吸うも、言葉にする勇気もなくてそのまま息を吐く。 あれほど恋焦がれたカカシがすぐ隣にいるというのに胸につっかえたモヤモヤが息苦しくて仕方がない。 貴重な休みだと思うのに、こんな気持ちで一緒にいていいのだろうか。 カカシが本当に一緒にいたいのは・・・誰? 「そういえばさ、この前の任務先でいい温泉街を見つけたんだ」 ふとカカシがいつもの口調で話し始めた。 「温泉街?いいなぁ、温泉入れた?」 「いや、忙しくてそれどころじゃなかったよ」 ガクッと肩を落として残念そうにするカカシについ笑いが溢れた。 「それは残念」 「だから今度、一緒に行こう」 「あ・・・うん、そうだね、温泉行こうって話してたもんね!」 あの時の楽しかった気持ちを思い出し、沈んでいた気持ちがぱっと光がともったかのように明るくなった。 「が見つけた温泉も行こう。休みとってさ」 「うん!」 隣で優しく微笑むカカシとの距離もいつの間にか縮んでいて、時々指先が触れ合うのが合図のように二人は手を繋いだ。 「あ、ここ!空いてるかなぁ」 「いいところだね」 目当てのカフェにたどり着き、にぎわってる店内に入ればちょうど窓際の席が空いていたようですんなりと案内された。 おすすめのコーヒーと、はケーキを頼んでホッと一息。 「なんだか久しぶりだね、二人で会うの」 「そうだね」 自分で言っておいてズキリと胸が痛んだ。 さっと気分が落ち込んだが、優しげな瞳をこちらに向けているカカシを見ているとそんなことも忘れてしまう。 「今日は一日お休み?」 「そう。だからずっと一緒にいられるよ」 「・・・うん」 カカシの言葉が嬉しくて思わず笑みがこぼれてしまう。 するとカカシはクスクスと笑った。 「は分かりやすいな」 「だって・・・嬉しいから」 「うん、おれも」 まるで付き合いたての頃のようにお互いを見つめ合ってほほ笑む二人の元に、注文していたコーヒーとケーキが届いた。 「いいにおい。いただきまーす」 ほわほわと柔らかな湯気をあげているコーヒーを一口。 深入りの香り深い味わいに目を見開いてカカシの方を見ると、カカシも美味しそうに頷いた。 美味しいね、と言いながらケーキも食べて、ゆったりとした心地いい時間が流れる。 「・・・・・」 と同じように楽しげな様子でコーヒーを飲んでいるカカシを見ていると、ほんの数時間前まで悩み貫いていたことが嘘だったかのようだった。 あんなに息苦しかったつっかえもコーヒーと一緒に流れてしまったようで、どうしてすぐに会おうとしなかったんだろう、と後悔が募る。 もちろん会えない時間は淋しいし、早く会いたい気持ちとカカシを思う気持ちを抑えるのが苦しいが、こうやって会えた時の多幸感は言い表すことができないほど。 社会人と忍とだって関係ない。 忍としてのカカシではなく、木の葉の里に生きる一人の人間としてやっぱりカカシのことを愛しているし、カカシも一人の人間として愛してくれている。 「ねぇ、カカシ・・・・」 愛しているよ、と伝える前に窓を突く音がその言葉を遮った。 * * * * * それは重苦しい分厚い雲が空をまんべんなく覆う薄暗い日だった。 の家に手紙を差し込んでから特に何も返事がなかった。 きっと会いに行っていいということだと思うのだが、如何せん足が重たくて、曇天が余計に気持ちを暗くした。 意を決しての家のドアを叩けば、すっかり油断した姿のが目を真ん丸にしていた。 一旦待ってくれとドアの前で待たされている間、その場でしゃがみ込みたくなるようだった。 手紙を見ていなかったのか、それとも忘れられてしまうようなことだったのか。 少なくともカカシにとっては重要な日ではあったのだ。 間もなくして久しぶりにの家の中へ招かれれば、なんだかはぎこちなく微笑んでいて、それを見たカカシもうまく笑うことができなかった。 どうしても頭の隅であの男の姿がちらついて仕方がない。 お茶を入れてくれようとして台所に立つに目をやれば、その手前に置かれている食器たちに気が付いた。 一人で暮らしているにはやけに多い皿の量が出ていて、その中には以前カカシにも出してくれた男物の色合いをした皿すらも出ていて、ジクジクと生んだ傷をさらにえぐられるようだった。 「・・・誰か来てたの?」 「え?ううん、なんで?」 「そのお皿の量、一人で使ったのかなって」 「あ・・・うん、バタバタしてて片付けられてなくて、アハハ・・・」 男物の食器と相変わらずのぎこちない笑みの理由を思わず勘ぐってしまいそうで、無理やりそこから視線を外した。 せっかく訪れたのだがそんな家の中だと精神が持ちそうにもなく、外へ出ることを提案した。 日がさしていたらまだましだったのだろうか、曇り空の下で二人並んで歩いても微妙な空気が流れていた。 こうやって二人で歩いたのはいつぶりだろう。 その時の記憶がよみがえり、芋づる式に任務先でのことを思い出した。 「そういえばさ、この前の任務先でいい温泉街を見つけたんだ」 できるだけ自然に話題を出してみれば、隣を歩くは途端にキラキラとした笑みを浮かべてこちらを振り返った。 「・・・・・」 まるでそこだけ晴れているかのように明るく笑う、以前と変わらないを目の当たりにしてなんだか強張った心がほろほろと崩れていくようだった。 それと同時にますます頭の中は混乱していた。 目の前で微笑みを浮かべるの影に、相変わらずあの男の姿がちらつく。 こんなにもを愛おしく思っているのに、はどう思っているのだろう。 分からなくなって、でも目の前のは愛おしくてたまらない。 「美味しいね」 可愛らしくケーキをつまむはそう言ってほほ笑み、カカシのことを優しく見つめた。 こんなにも愛しているのに、どうしてそれに比例して悲哀も感じなければならないのだろう。 は相変わらず微笑んでいて、だったらあの男は何だったのか。 ただそれだけを聞けばスッキリするだろうに、すべてを知ったら誤魔化しのガラスが粉々に崩れてしまうのではないだろうか。 その微笑みを向けて、愛しているのは誰なんだ。 「ねぇ、カカシ・・・・」 なにか言いたげなの言葉を遮るように、一羽の伝令の鳥がカフェの窓をコツコツと叩いた。 こんなところにまで、と窓を開けて鳥を迎え入れ、足に括りつけられた文を受け取った。 「行くの?」 「・・・・・・」 伏し目がちに尋ねるの質問に答えずに広げた文をぐしゃりと潰した。 引き留めるわけでもなく、いってらっしゃいと背中を押すわけでもなく、は大事に食べていたケーキの最後のひと欠けを食べた。 柔らかな湯気を立てていたコーヒーも今では冷めてしまい、美味しそうなケーキが載っていた皿も今は空。 まるで何かを示唆しているかのようで、そういえばこのカフェも会社の人に教えてもらったと言っていた。 ガタっと椅子を引いて立ち上がったカカシは一呼吸おいて声をかけた。 「ねぇ、」 名前を呼ばれて顔を上げたの顔は淋しげで、それを眺める自分自身も似たような顔をしている自覚があった。 脆くて不安定なガラスの道に一歩足を踏み入れたようだった。 一歩踏み出したからには逃げ出せない。 振り返ればガラスは砕けて、ただひたすら前に進むしかない。 目の前には分かれ道。 その一歩はに近く一歩なのか、ガラスが砕けて奈落へ落ちる畏怖の一歩なのか。 「あの人って・・・・さ」 選ぶのか、逃げるのか。 進む道は 「あの人って、だれ?」 「いや、なんでもない」 3<<< Novel TOP |