「いや、なんでもない」 一歩踏み出した足を再び元の位置に戻す卑怯な奴だ。 生ぬるい均衡を守ろうとするカカシへの嘆息なのか、は浅く息を吐き出して伏し目がちに「任務、頑張ってね」とつぶやいた。 まるで赤いペンキで乱雑に一本の線を引かれたようだった。 やはりまじまじと感じるのは忍として生きる道と社会に沿って生きる道で、その一歩を立ち退いたのは自分自身だった。 「・・・・・。また時間作るよ」 「うん、気にしないで」 机の上に置かれていた伝票を取ってその場を後にした。 一瞬だけ背中にの視線を感じたが振り返ることもなくすぐに任務へ発った。 なんとなく感じていた曖昧な終わりの予感。 それが余計に色濃く突き付けられたようだった。 * * * * * カカシが任務へ出かけた。 どこか一歩引いたようなカカシの態度に距離を詰める勇気もわかず、さらに自ら一歩立ち退いてしまった。 「・・・早く戻ってきてね」 誰も座っていない空の椅子に呟いても届いてほしい本人には届かない。 こう言えただけでもなにか変わったのだろうか。 少なくとも、カカシにあの寂しげな表情はさせなかっただろう。 いつまでも一人でここに居座るわけにもいかず、そっと席から立ち上がった。 伝票を探そうとして、そういえば自然な流れでカカシが持って行ったのを思い出し、そのお礼すらも言いそびれてしまったことに気が付いてさらに落ち込んだ。 のろのろと重たい脚を引きずるように家へと帰る道すがら、相変わらずの曇天は再び頭を占めるモヤモヤを増長させるようだった。 あのくノ一と親し気な態度で一緒にいた姿を何度も見たことは確かに今まで頭を悩ませていた大きな原因だったが、よもやカカシが見せる笑顔にその不安も心配もすべてなくなっていた。 もちろん今日はずっと一緒にいられると思っていた矢先、急に任務へと出てしまい一緒にいられなくなってしまったことは淋しいが、それはカカシが里に必要とされているという誇らしいこと。 そうなると、果たしてなにがこのモヤモヤの原因なのかと考えると、なんとなくカカシがどこか遠くにいるように感じたことだった。 隣で一緒に歩いていても、目の前でほほ笑んでいたとしても、物理的ではなくいわゆる心の距離を感じるというか。 「はぁ・・・」 重たい溜息が身体を覆いつくすようだ。 家に帰ってソファに座り込み、時々、時計の長針がカチリと音を立てるだけの静かな空間で思いつめていた。 「・・・・やっぱり釣り合わないのかな」 忍の世界が分からないなりにカカシに寄り添ってきたつもりだが、その『つもり』はただのエゴで、カカシにしてみれば鬱陶しかったのかもしれない。 「でも・・・それでもカカシのこと分かりたいじゃん・・・」 誰に向けての怒りなのかも分からず抱きかかえているクッションに顔をうずめた。 「だってカカシのことが好きなんだもん」 ぼそりと呟いた言葉はクッションの綿の中にひっそりと吸い込まれていった。 * * * * * 久しぶりに血生臭い任務だった。 今回はいつものペアではなく単独で、気が立っていた部分もあり雑な戦い方をしたせいかいつにも増して返り血を浴びてしまった。 「・・・・・・」 先ほどまでの戦闘とは打って変わって静かな空間にぽつりと立っていて、客観的に己の姿を顧みてみればなんて恐ろしい姿なのだろうか。 目をぎらつかせて、片手に持ったクナイからは血が滴り着ているベストには赤黒い鮮血が飛び散っている。 「帰ろう」 せめて手と顔にこびりついた血液を近くの川で洗い流し、辺りはすっかり闇夜となってしまったが木の葉の里へ帰還した。 大きな門を超えて里の中へ入ろうとした瞬間、道の先に立っている人物に気が付いて顔を上げた。 「!」 「おかえりなさい」 いつから待っていたのだろう、帰還する時間を告げただろうか。 早く歩みよればいいものの、自分の姿を考えれば近づくことができない。 都合よく月が雲の中に隠れていて、おそらくにはこの薄暗い中まだこの姿はしっかりと見られていないだろう。 「どうしてここに?」 「カカシのこと、待ってたの」 一抹の風が吹いて、その風に乗ってか天上の雲が流れ始めた。 「カカシに伝えたいことがあって」 おおよそ大通り一本分あいた二人の距離はなんとも微妙で、表情を読み取ることも声色から感情を読み取ることも難しい。 次に伝えられるの言葉に様々な予想が頭の中で繰り広げられる。 「あのね。わたし、カカシのこと」 バッドエンドはこうだ。 別れを告げられてさようなら、そうして次に街中でとあの男が仲睦まじく歩く姿を見かけては絶望を感じるのだ。 「カカシのこと、愛してる」 月を隠していた雲が流れ、いよいよその全貌が姿を見せた。 こちらを見つめるの目が大きく見開かれた。 その表情が歪むのが見ていられなくて、先にカカシの方から顔を逸らした。 「これが俺の本当の姿だよ」 それでもまだ同じことが言える?と口を開きかけた瞬間、こちらへ走り寄ってきたが大きく腕を広げてその身を抱き締めた。 「!」 も汚してはいけないと慌てて身体を引き離そうとするが、思い切り抱き着いていて簡単には叶わない。 「カカシはケガはない?痛いところは?」 「俺は大丈夫だけど・・・・」 「よかった」 思った通りの服に泥や汚れがついてしまい、どうしたらいいのか分からずカカシはただ抱き着かれたまま狼狽えていた。 このままの背中に手をまわして抱き返したい。 柔らかなその身体と安心する香りに包まれたい。 けれどそれが許されるだろうか。 この手で自ら汚していいのだろうか。 「・・・俺たちは住む世界が違う。俺は忍で、これが本当の姿で、とはなにもかも違う」 「ううん、確かに働く世界は違うけど、でもなにも違くないよ。だって忍者も会社人も、同じ人間でしょ?」 顔を上げたはやさしく微笑んで、怯えた表情を浮かべるカカシの頬を包むように手を添えた。 「わたしはカカシが忍者でも、そうじゃなくても、それでもカカシのこと愛してるよ」 「・・・・・」 ガクリと足の力が抜けそうだった。 今まで深くナイフが突き刺さっていた場所に薬を塗られたようにほこほこと温かい気持ちが溢れてくる。 勝手に一歩立ち退いて、自殺志願者のように薄いガラスの上におびえて立っていた。 「俺ものことどうしようもないくらい愛してるよ」 愛を呟くたびに一歩、また一歩ととの距離が縮まっていく。 なにを怯えていたのだろう。 恐怖も何もない、愛に満たされた一歩。 「遠くに行きすぎてたみたいだ」 ようやくのことを抱き締められた。 あたたかくてまるで太陽を抱き締めているかのようだった。 「愛してる」 「わたしも」 二人は抱き合いながら月夜の元で愛に満ちた口づけを交わした。 その帰り道、二人は手を繋いで寄り添いあって歩いていた。 「そういえば、とよく一緒にいた男の人って誰?」 「え?見たことあるの?ただの先輩だよ」 「そっか」 そう、ただそれだけのことだったのだ。 あれほど喉元でつっかえていたことが自分でも驚くくらいすんなり出てきて、そしてそれはほんの些細なことだった。 の口から直接聞いてモヤモヤが晴れるのかと思いきや、もはやそのモヤモヤすらもなくなっていた訳で大した衝撃もなかった。 「あのね、わたしも見かけたんだけど、カカシと一緒にいた女の人って?」 「あぁ、任務で組んでるくノ一のこと?その人もただの仲間」 「うん、やっぱりね」 フフ、と笑ったはまるで犬がしっぽを揺らすようにつないだ手をぶんぶん振った。 相変わらず分かりやすいを見てカカシも思わず笑みが零れ落ちた。 顔を見合わせて笑う二人はどこかスッキリしたような表情で、その目はお互いをしっかり映し合っていた。 「ね、今度の温泉旅行、いつにする?」 「そうだねぇ、そしたら今度の・・・・」 隣に寄り添う愛しい人の微笑みをこれからもずっと守れるように、カカシもも手を握り合ってそっと心の中で誓った。 「そうだ!あのさ、今度みんなでご飯に行かない?」 「え?俺たちと、その先輩とくノ一もってこと?」 「うん、だって楽しそうじゃない?」 「そうねぇ・・・」 ふむ、と頭の中で想像してみた。 確かにこれを機に知り合って自分の知らないのことを知れる機会になるかもしれない。 「ま、今度話してみるよ」 「うん!わたしも先輩に話してみる!」 そう微笑み合った二人は、ふと同じことを思い浮かべた。 『先輩に口止めしておかないと』 『あいつに口止めしておかないと』 内情を共有したあの人が、どうか本人にペラペラ喋りませんように。 そして二人がある事実に気付くのも、そう遠くない話。 4<<< Novel TOP |