「カカシ先生、抱いてくれませんか?」

多少なり、アルコールの勢いはあったかもしれない。
それでも言ったことに後悔はなかった。

「お前、酔ってるでしょ。もう帰ろう」

いつものように飄々とした態度で席を立つカカシの袖を掴んだ。

「本気です」
「・・・」

しばらく見つめあったのち、先に気まずそうに視線を外したのはカカシだった。
結局カカシがその場で支払い、出よう、と声をかけて二人は外へ出た。

「カカシ先生」

を置いて先を歩くカカシに声をかけると足を止め、ゆっくりとこちらを振り返った。

「・・・」

張り詰めた空気が二人を包むが、見かねてこちらに向かってくるカカシの緊張感にゴクリと息を飲む。

「カ、カシせん・・・!」

ガッと肩を掴まれ、すぐ横の狭くて暗い路地裏の壁に押しつけられた。

「ッ!」
「・・・」

無言のまま、壁に押しつけられながらカカシが迫ってくる様子に動悸を感じる。

「・・・いざこうされたら怖いでしょ?俺は『先生』であるけど、それ以前に男なんだよ」

そう言って体を離し、カカシは一人で路地裏から出て行った。
緊張でいつの間にか止めていた息を吐き出して、ギュッと拳を握りしめた。
震える脚に力を入れて、急いでカカシの後を追った。

「待って!」

今度はの声に歩みを止まることのないカカシに向かって走り腕を掴んだ。

「まって・・・」

さすがに足を止めたが、のことは振り返らなかった。

「カカシ先生」

なんとか絞り出した声に、カカシは哀しげな目を向けて無理やり微笑んだようだった。


それから二人は緊張した空気感のままよく知らない場所にある適当な宿屋に入り、小さな面積に大きなベッドが置かれているような、まさに、と言ったような部屋に思わずは閉口した。

「先に風呂、入っておいで」

手甲やベストを脱ぎながら、手慣れた口調でそう言った。
心臓が張り裂けるんじゃないかと思うくらい緊張して、浴びてるシャワーがお湯なのか水なのかも定かじゃない。
風呂から上がったら下着はつけるべきか服はどこまで着るべきか、まさか全裸で行くわけにもいかないし、と無駄に大きな鏡の前で慌てふためく。
よくわからないまま間をとってバスローブを纏って洗面所を出ると、ベッドに腰掛けてテレビを眺めるカカシに「どうぞ」と声をかけた。

「早かったね」

さっさと風呂場へ消えたカカシの後ろ姿を見送り、なにを見てたんだろうとテレビに目を向けると、派手に体を交わらせてる男女が映っていた。

「・・・」

こんなものを見て平常心のまま風呂場に行くカカシに比べて、こんなにも挙動不審な自分自身に嫌気が差す。
きっとこんなものを見ないと気が乗らないのだろう。
リモコンでテレビを消したのち、カカシと同じようにベッドに腰掛け、遠くに聞こえるシャワーの音と煩く騒ぐ心臓の音に一人包まれた。

コックをひねる音、シャワーの音が止まり、扉が開く音。
どんな姿勢で待ってるべきか分からずに、腰掛けたまま床をジッと見つめていると、洗面所から出てきたカカシが歩み寄ってくるのが分かった。

「さあ、始めましょう」

自分の震える声がみすぼらしい。
まるで修行のようだ、と思いながらカカシを振り返ると、もちろんマスクも外してほぼ裸に近い、腰にタオルを巻いただけのカカシが感情の読めない表情を浮かべていた。

「やめるなら今だけど」

そんな残酷な言葉に曖昧な笑みを返し、カカシの大きな手に誘われながらベッドの上に体を寝かせた。

いつまでも緊張したままのにカカシは優しかった。
頭を撫で、手を握り、優しい手つきで身体を撫でる。
それでもこの行為に愛などなくて、重ね合わさることのない唇からは堪えきれない声がダラダラと溢れ出していた。

「挿れるよ」

本来なら身を引き裂くような痛みがあるのだろうが、カカシの手によって快楽を引き出された身体には破瓜の痛みなど感じなかった。

「あぁ・・・っ!」

きっとカカシとのセックスは愛に溢れ、溶け合うような感覚に意識を失いそうになるのだと今まで信じていた。
しかし現実はこんなにも辛く、哀しく、愛おしい。
忍としての性質が憎たらしい。
堪えたくないのに涙が出なくて、目の前で同じように苦しそうな表情を浮かべるカカシがハッキリと見えてしまう。
せめて涙で目がかすめばよかったのに。

「痛くない?」

優しく頬を撫でる手に否が応でも身体が反応する。
途中で全てを投げ出して、ただ快楽だけに溺れた自分が浅ましくズルイと思いながらも絶頂を迎えた。



こちらに背を向けて身なり整えるカカシの背中をベッドの上に横たわりながら眺めていた。

「先に出るけど、ゆっくりしておいで」
「はい」

あっという間にいつものカカシに戻った姿を見て、今までのことは幻だったのかと思う。
けれど体を動かすたびに感じる痛みと違和感が現実を突きつけられる。

「じゃあまた」
「また・・・」

チラリとこちらに目線を向け部屋を出て行く姿を見送った。
そしてそれがカカシと会った最後の日となった。



それからは任務に出かけたが、帰還した後に演習場へ現れなかった。
そもそもからの連絡があって修行の予定を立てていたが、その連絡もなくある意味待ちぼうけをくらっていたカカシ。
任務で負傷したという話も聞かず、他の任務に出ている様子も無い。
静かな演習場に足を運ぶがもちろんの姿もなく、ふと現れるんじゃないかと思いながら無駄に木陰で本を読んで過ごしていた。

「・・・」

風になびく葉の音を聞きながら最後に会った日のことを思い出していた。
あの日は修行の時から様子がおかしかった。
間近に迫る任務に緊張していただけなのかと思ったが、居酒屋で見せた表情が脳裏から離れない。

『カカシ先生、抱いてくれませんか?』

そう言葉を漏らしたの目はまっすぐカカシを見ていて、まるで冗談だとも思えない話をはぐらかしたのはカカシの方だった。
もちろん驚いたが、なによりも辛かった。
自ら二人の関係を壊しにいくの方が辛く苦しそうで、身体だけは薄いゴム越しに交わりあったくせにその距離は果てしなく離れてしまったようだった。

「帰るか」

たいして読み進められなかった本をパタンと閉じ、街中にの姿を探しながら待機所へ向かった。
途中、見知らぬうちに新しい店が出来ていて、どうやら忍具を専門に扱うようだった。
店先には間近に迫る上忍試験の広告も貼ってあり、受験票を提示すれば安くしてくれるという。
そういえばも試験を前に忍具を買い揃えるなり、不測の事態に備えて準備を進めた方がいい。
が、それを伝える手立てもなく。

「・・・はぁ」

なんともいえない溜息だけ残して再び歩き出した。


そして迎えた試験当日。
運悪く試験官として参加しなければならなく会場へ足を運ぶと、担当ではないはずのガイが会場を見渡していた。

「なにしてんの」
「おぉカカシか。いやなに、のことを探していてな」
「・・・」

考えることは一緒か、と同じように会場を見渡す。
しかしいつまで経っても現れず、試験官に配られたリストを見るもの名前は書かれていなかった。

「アイツには熱い青春を感じてたんだがな」
「・・・俺も」

見るからにガックリ肩を落とす二人だったが、後日聞かされた話には思わず声をあげていた。


「なにィ?!」
「えっ、辞めたんですか?」

たまたまガイと一緒にアカデミーの教員と話す機会がありのことを聞くと、どうやら上忍試験の前に忍を辞めたという。

「それって具体的にいつですか?」
「そうですねぇ・・・試験の二週間前くらいだから・・・」

伝えられた日付にカカシは一人驚きを隠せないでいた。
あの日、宿屋を出てその足で辞表を出したというのか。

「まぁ忍を辞めてその後は───」
「ム、その店なら知ってるぞ」

教員には伝わっていて、こちらにはなにも知らされていない。
あれだけ上忍になりたいと言っていたはずなのに、努力を積み重ねてきたはずなのにどうして。
あまりにもきっかけになりうる事案に心当たりがありすぎて、疑問と後悔で冷静ではいられなかった。
教員とガイが話している内容も聞かずに憤りばかりを感じる。

「先に出てる」
「あ、おい!カカシ!」

挨拶もせずにその場を去ってしまった。
考えれば考えるほど行き場のない苛立ちと怒りが湧いてきて、とうとう考えるのが億劫になってしまった。
忍が早々に引退するなんてよくある話じゃないか、と自分の中で折り合いをつけることにした。

ただ、深く関わりすぎた。


*    *    *    *    *


それから数ヶ月、折り合いをつけた割にはまだの姿を探していて、似たような髪型を見かけてはその姿を目で追ってしまっていた。
なにげなしにガイに話を聞くもどうやらカカシほど執着しておらず、そういう人生だったのだ、と割り切っているようだった。
それもそうだと分かっているはずなのに、いつまでもいつまでも頭の中はのことでいっぱいだった。

「そんなに気になるなら会いに行けばいいだろう」

見かねたガイにあっけらかんと言われ、それが出来ればこんなにも悩んでいないと怒りが込み上げる。

「どこにいるかも分からない相手にどう会いに行けばいいのよ」
「?」

苛立ったカカシの言葉にキョトンとした顔を向けるガイに「だからぁ」と続けようとすると、

「知ってるぞ」
「ハ?」
「だから、の居場所」

と、当たり前のようにサラッと告げるガイに今度はカカシが間抜けな声を上げた。

「なんて言ったかなぁ。えーっと、あの教員が言ってたんだが、名前が思い出せん!」
「・・・」

コイツは本当に筋肉で脳みそが出来てるのかと苛立ちと焦燥と期待で睨みつけてしまう。
しかしいくら待っても出てこない様子にいい加減堪え切れず、今度はどの教員に聞いたのかを尋ねた。

「それは覚えてるぞ。が忍を辞めたことを聞いた者が・・・あれ?」

ガイの話を最後まで聞かず、無意識のうちにアカデミーに向かって飛び出していた。
なぜ早く気がつかなかったのだろう、ようやく見えた光明に胸が高鳴った。


「休み・・・ですか」

しかしそれも、教員がタイミングよく休暇に入っていたため話が聞けず、高鳴った胸は地の底に落ち潰された。

「次はいつ?ハイ、そうですか。ここの卒業生のについて伺いたくて。ありがとうございます。今度受け取りにきます」

尋ねた教員は若かったのか卒業生ののことを知らないようで、今度の休暇明けまでに該当の教員にについての資料を受け取る手筈を取った。
何も知らない時に比べたらかなりの進歩だ。

「カカシ上忍!」

帰り道、名前を呼ばれ振り返ると以前任務で一緒になったくノ一だった。
と同い年くらいだろうか、すでに上忍として名を馳せている彼女は、この前の任務で立てた作戦について改めて学びたいと声をかけてきた。

「この日とかどうですか?」

日程を決めようと話を進めていると、指し示された日はちょうど先ほど聞いた教員が出勤する日だった。

「その日はアカデミーに行く予定があって」
「アカデミーに?」
「ちょっと資料を受け取りにね」
「わかりました、じゃあこっちの日で」

別の日に予定を取り付けて、熱心なくノ一と別れた。
も今ごろ上忍になっていれば同じように話せていたのだろうか。


そしてついにアカデミーに向かう日となった。
この日をどれほど心待ちにしただろうか。
はやる気持ちを抑えてアカデミーに向かうと、校舎近くに緑のベストを着た忍たちが集まっていた。
なにか集まりでもあるのだろう、と切り替えて歩みを進めると、あるくノ一に話しかけられた。

「カカシ上忍!」
「あれ、この前の」
「実は同窓会でわたしたちもアカデミーに来てて」
「へぇ」

そりゃ呑気なことで、と思いながら集まりに目を向けた瞬間、稲妻に打たれたような衝撃を受けた。
あれほど探し続けていたがそこにはいて、まるでなんともなかったかのようにこちらに向かって会釈をしていた。
ほぼ放心状態で手を振り返すと、くノ一がすみません、と気まずそうに謝った。

「忍、辞めた子でしょ?」
「あぁ、ご存知でしたか」
「まぁ、ね」

顔を真っ赤にしてこちらを見てる様子は、まるで二人の間になにもなかったかのような他人行儀さを感じていた。

「よかったら今度、わたしたちと飲みに行きませんか」
「そう、だね」
「呼び止めてすみません、また」
「あぁ」

にしてみれば無かったことにしたかったのだろうか。
ブラウスとスカート姿のがまるで他人に見えてしまい、現実から逃げるようにその場を去ってしまった。

そうしてようやく掴んだ偶然を手放すわけにはいかないと、もともと飲みにいく予定だったメンバーを無断で巻き込んで、彼女らと同じ居酒屋へとなだれ込んだ。

無意識のうちにの方を眺めては、今まで知っている雰囲気とは一変したとしみじみ思う。

「それにしてもは変わったなぁ!」
「そうだね」

それはガイも思っていたようで、ちびりちびりと酒を口にしながら盗み見る。
変わったというか、なんというか。
土埃だらけの忍服姿が、今やブラウスにスカートを穿いて慎ましやかにクスクスと笑っているのである。
その姿は・・・

「なんだか可愛くなったな!」
「・・・ッ」

ゴギュ、と酒を飲み下す喉が変な音を立てて撃沈した。






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