「いらっしゃい」
「カカシさん、いらっしゃい。今日もお疲れ様でした」


カカシがこの里に戻ってきてから、再び夜遅くまで仕事をするようになった。
どんなに遅い時間でもこの店だけはいつも明かりが灯っていて、いつものようにあたたかくカカシのことを迎えた。

「今日もこんな時間まで・・・。大丈夫?無理してないですか?」

心配そうなに大丈夫、とほほ笑むカカシの目には、その言葉の信憑性がないくらいしっかりと隈が目立っていた。


それでも二人の時間が合えば街の洒落たお店に食事に行ったり、他愛もない話をしたり、イッテツに冷やかされて二人して恥ずかしそうに顔を見合わせたり、ふとした瞬間に目が合って口づけを交わしたり。
時間が限られているからこそ、愛が深まるスピードは早く、そしてなおさら互いに惹かれあっていった。


寝る時間を惜しんでまで二人で過ごす時間を増やしたところで、三か月という月日はひと時も待ってはくれなかった。
そんなある日のこと、酒屋が開く前にカカシが時間が取れ、を里が一望できる丘に誘った。
すっかり発展を遂げた姿に安定した里を眺めながら、二人は静かに身を寄せ合っていた。

「今日、ようやく俺の机周りを片付けました」

なにげなしにカカシがつぶやいた言葉は、誤魔化し続けていた事実を唐突に露わにし、二人の息を詰まらせた。

「カカシさんの机って、すごく整頓されてそう」
「んー、恥ずかしながら全然そんなことなくて。ここ最近いろいろ追われてて書類からなにから滅茶苦茶でしたよ」
「ふふ、それは片付けるの大変でしたね」

チリチリと、核心に触れるか触れないかの会話。
どうして片付けた、だとか、なにに追われていたのか、なんて分かってはいるけど知らないふり。

「・・・・・」
「・・・・・」

そっと繋いだ手は温かく、気を抜けばポロポロと想いが溢れてしまいそう。
しばらく無言が続いて、がぎゅうっと強く手を握った。


「・・・もうあした、ですね」


三か月なんてあっという間で、どんなに抗ったところで運命の日は目前まで迫ってきてしまった。

言葉にすれば簡単で、そして一気に現実味を増した。
の強く握った手のぬくもりや、こうして二人で共有する時間も、明日を迎えればすべてが終わってしまう。

そんなこと、わかっていたことなのに、苦しくて、切なくて。

「うちの里とカカシさんの里、結構離れてるからなあ」

無理やり明るく振る舞うが、なおさらカカシの胸を締め付ける。

「お手紙送ったら何日で届くんでしょうね」

遠くを見つめるの目は、果たして遠い木の葉の里を思い浮かべているのか、それとも想像のつかない二人の未来を憂いているのだろうか。

「・・・さん、おれ考えたんです」

今度はカカシが、の手を強く握った。

「ずっと考えていたんです。もうさんと離れたくなくて」
「それは私も・・・」
「だから、さん」

隣でカカシを見上げているの方へ体を向け、しっかりと目を見つめた。

「どうかおれと一緒に、木の葉の里に来てくれませんか?」

カカシの言葉には息を飲んだ。
言葉を失った代わりに、一寸置いてポロポロと大粒の涙が瞳から零れ落ちた。

さん・・・」

カカシが手を伸ばし、の頬を濡らす涙を優しく拭った。
目を泳がせ、思考に押しつぶされそうなにカカシは後悔と戸惑いを隠せなかった。

そんな顔をさせたかった訳じゃない。
またしても自分のワガママをぶつけてしまったようだ。
でも、困らせたかった訳じゃない。

以上に困惑した顔を浮かべるカカシに、はようやく言葉をつづけた。

「ごめんなさい、カカシさん、違うんです。わたしも、できることならカカシさんと一緒に木の葉の里に行きたいんです。でも・・・」

は再び言葉を詰まらせた。

「でも、父さんを一人にできないです。父さんは私を拾ってくれて、ここまで育ててくれて、私にとって唯一の家族なんです」

強く握られたの手が、思いの強さを図らせる。

「カカシさんも、父さんも、どっちも大切で、大好きだから・・・どうすればいいのか、分からないんです」

の必死の思いの丈を聞き、カカシも共に胸を痛めた。

がイッテツに愛されて育てられてきたこと。
イッテツがを愛し、もイッテツを愛しているということ。

分かっていたはずなのに、それでもカカシのワガママでを再び悩ませ苦しめていた。
血はつながっていなくとも、親子の絆を断ち切る権利なんて、二人がすごした時間とは比べ物にならないほど短い時間を過ごしたカカシが持ち合わせているわけがない。

さん、おれ・・・」

そんな顔をさせるために言ったわけじゃない、と、こんなワガママ忘れてほしい、もっといい案を考えてみる、と謝ろうと声をかけた。


!」


それは突如聞こえたの名前を呼ぶ声で留められてしまった。


「おい、こんなところにいたのか」
「父さん・・・!」

声の主は、険しい顔をしたイッテツだった。
は涙をぬぐうことも忘れて驚いた顔をイッテツに向けた。

「さっさと店の開店準備してこねぇか。客が来ちまうぞ」
「ま、まって父さん、いまカカシさんと・・・」
「いいから!さっさと行け!」

そんなことしてる場合じゃないと必死にはイッテツに説得するも、頑固なイッテツはすべてを却下し、無理やりを店へと向かわせた。

「残り時間が少ない俺たちの邪魔をして、どういうつもりなんですか、イッテツさん」

呆れたように笑うカカシだが、相変わらずイッテツはどこか怒ったような表情。

「あのなぁ、カカシ」

怒った表情のまま、イッテツはカカシに言葉をつづけた。

「俺ァ、さっきからお前たちの会話を聞いてたんだ」
「それはまた悪趣味な」

揶揄するカカシを無視し、イッテツは乱暴に言葉をぶつけた。

「あいつは俺にとって花なんだ。綺麗に咲いただろう?苦労したんだからな。
でもお前は、俺からその花を盗んで行こうとしている。それも突然に、だ」

イッテツの言葉がやけに胸に刺さる。
例え血がつながっていなくとも、愛し続けた大切な娘を喜んで差し出す父親なんているだろうか。
それも遠く離れた他里へと。

「けどな、花ってのはいつまでも綺麗であるべきなんだよ」

イッテツの荒々しい言葉とは裏腹に、今まで見たことのないような寂しげな表情を浮かべていた。

「だから俺は、お前に花を盗んでもらう。・・・いや、違うな。
盗んでくれ。俺が大事にしすぎて、手放せなくなる前に」

なにかを決意したかのように、強い眼差しでカカシを見据えた。
カカシもまっすぐにイッテツを見つめ、その固い決意を前にぐっと身体に力が入る。

「お前があいつを泣かせてる姿も、苦しませる姿も、もうこりごりだ。しかもその原因が俺自身だなんて、目も当てられん」

やれやれ、とイッテツは里を眺めながら息を大きくはいた。

「この里をこんなに立派に育ててくれたんだ。お前になら、安心して任せられる」

それはまるで自分自身にも言い聞かせているようだった。
イッテツの言葉にカカシも決意を決め、拳をしっかりと握りしめた。
息を吸って、はいて、心を落ち着かせて。

「イッテツさん、おれはあなたが咲かせた美しい花を盗ませていただきます。そしてさんを、頂戴致します」

ついに言葉にして宣言を述べ、それは言霊となってカカシの心に深く染み入って行った。

「盗むなら、枯らさないでくれよ。幸せにしてやってくれ」

くしゃっと不器用に笑う陰に、隠しきれない寂しさがひっそりと覗いていた。

「イッテツさん・・・」
「おい、びしっとしねェか!」
「!!」

寂しげなイッテツを見てしまったカカシの情けない声色に、たまらずイッテツはカカシの背中を強くたたいた。
突然張り上げられたイッテツの声と、鋭い背中の痛みにカカシの猫背がまっすぐ伸びあがった。

「お前、花盗人って話は知ってるか?」
「・・・花を盗んでいく人のことですか?」

自分で言っててチクリと刺さる。
なにもいまそんな話をしなくても、とつい顔が強張る。

「まあその意味もあるが。ある男が桜の枝を盗もうとして捕まったんだがな、そいつは”たとえ花を盗んで悪名が知れ渡ってしまったとしても、それは花の美しさに心惹かれた想いの深さを示すことになる”と開き直ったそうだ」
「そりゃまた・・・風流な話ですね・・」

イッテツらしからぬ話に思わずきょとんとしていると、イッテツ自身も少し照れくさそうに頬をかいていた。

「だからカカシも、俺から花を盗んでいく罪悪感じゃなくて、いい花を見抜いて盗んでいくことを自慢に思うくらい開き直れってこったァ!」
「あ・・・・」

そう言うことか、と頭の中でつながった。
を連れて行くことにまだ心残りのあるカカシのことを、不器用なイッテツなりに後押しをしてくれている。
イッテツがそこまで言ってくれているのに、これ以上悩み続けるのは堅い決意を決めたイッテツに対して失礼だ。

ようやくそれに気が付いたカカシに、イッテツはいつものようにニヤッと笑った。

「はは、柄じゃなねェことなんて言うもんじゃねェな!」

イッテツは豪快に笑いながらバンバンとカカシの背中を叩き、踵を返しその場から去り始めた。


「・・・たまに顔を見せに来てくれれば、俺は元気にやっていけるから」


振り返ることなくそう告げると再びイッテツは歩き始め、カカシはその後ろ姿が見えなくなるまで頭を深々と下げていた。







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