「はたけカカシ、ただいま一時帰還致しました」
「うむ。よく戻った」

懐かしの木の葉の里へと戻ってきたカカシ。
やり残した仕事はないけれど、心のモヤモヤはそのままに。

「せっかくだから休暇を兼ねて・・・と言いたいところだが、報告がなかった分しっかりと聞かせてもらうぞ」
「はぁ〜わかりましたよ」

せっかく向こうの里での激務生活が終わったと思えば、今度はこちらで帰れない日々が続きそうだ。


*    *    *    *    *



「なるほど。・・・よし、今日はここまでにするか」

延々と綱手に里のことについて報告して、気付けば日は沈み月が輝き明かりが灯り始めた。

ようやく解放された、と一息ついたのもつかの間、ドサドサッと大量の資料と書類を手渡された。

「な、なんですこれ・・・」
「お前がいなかった間の木の葉の情報と、今回の任務の報告書だ」
「報告書って・・・それ、もしかして二年分のこと言ってます?」

おぞましい量の紙の束に思わず食って掛かるも、綱手は眉間に青筋を走らせながら優しく微笑んだ。

「私はさんざんお前宛てに報告書を定期連絡で送れ、と文に書いていたんだがなあ。どこかの誰かさんが読まずして今日まで放置していたんだから、自業自得って言葉を忘れていなければこの量の意味が分かるはずなんだが」
「・・・・やります」
「期限は一週間だぞ。それ以上お前の不在が続くと向こうの里にも迷惑がかかるからな」
「・・・・」

だったら、と言い返したいところだが、何をどう考えてもここまで溜めた自分が悪い。
ここでつべこべ言っている間に、一枚でも早く報告書を提出した方が得策だろう。

「あ、お前の家は約束通り定期的に清掃が入っているから気にせず帰っても大丈夫だよ。じゃ、また明日同じ時間に報告会するからな」
「・・・・了解」

ツカツカとヒールを鳴らして去っていく綱手を虚脱感に襲われつつ見送り、こんなことしてる場合じゃないとトボトボと懐かしの我が家へと帰った。



それから数日間、朝から夜遅くまで綱手への報告と書類処理。
家に帰ってからも続く報告書の山。
もしかしたら向こうの里にいたときより睡眠時間は少ないかもしれない。

最初の頃は仲間たちの誘いにのって土産話もそこそこに食事へと出かけていたが、あまりにも減らない報告書の山に家へと直帰する日々へとなってしまった。

「あー・・・終わらん。腹減った。飽きた」

コロン、と筆を放り投げ、椅子の背もたれへ身体を倒した。
自炊する気にもならなければ、この時間で開いている飯屋なんてほとんどない。
というより、もはや外出する気すらも起きない。

こんな時、前はあの居酒屋へと行っていたのに。

あの居酒屋があれば喜んで向かったのに。

店のドアを開けて、いらっしゃい、お疲れ様とあたたかい声で迎えられ、いつものカウンター席へ。
今日のおすすめのメニューを聞いて、特別な定食を。
ほかほかのご飯によく合うおかず。
そして時々のお手製の一品小鉢。

今日のはうまくできたんです!とカウンター越しのあの笑顔。

「はあ・・・」

恋しくなるから思い出さないようにしていたのに、まさか空腹で思い出してしまうとは。

一度思い描いてしまえば、そこからは堰を切ったように会いたい気持ちが溢れ出す。
もし木の葉の里にいるのなら、今すぐ走って会いに行くのに。

驚いた顔でカカシを迎えて、一体どうしたんですか?と聞いてきたら、あなたに会いたかったから、と思いを隠さず伝えるのに。

それでも冗談だと思って笑っているだろうから、その身体を優しく抱きしめて、そして愛をささやいて口づけるのに。

「会いたい・・・・」

ぽつりと漏らした願望は、目の前の書類の山に吸い込まれていった。




「ということでようやく戻ってまいりました」
「ふん、すっかりやつれてらぁ」

連日連夜、綱手と机に向かい合った日々。
山積みだった報告書もカレンダーと睨み合って着々と減らしていった結果、こうやって一週間でいつもの居酒屋、いつものカウンター席へと戻ってこれたのだった。

木の葉から戻ってきたそのままの足で店を訪れると、カウンターのイッテツがいつものようにカカシを迎えた。
体力、気力と共にすり減らしたカカシを見て、イッテツは口の端でニヤリと笑った。

「とりあえず、定食頂いてもいいですか?」
「あいよ」

落ち着く店の雰囲気にほっと一息。
店内には相変わらずの客が集まり賑やかだった。
いつもの雰囲気に、いつもの客。
けれどそこには決定的な何かが足りない。

「イッテツさん、あの・・・さんは」
「・・・・」

何気なしに尋ねたつもりだが、言葉の端が少し震えた。
イッテツは無言で包丁を動かしていたが、ちらりと目線だけカカシに向け、

「休み」

そう短く答えた。
ぴしゃりと言い切られてしまったからには、それ以上追及もできない。

そのあとすぐ出てきた定食に、パキンと割り箸を割った。
待ちに待ったほこほこの白米と、美味しそうに湯気をたてる豚肉の生姜焼き、豆腐がのぞく味噌汁。

「・・・・」

傍らに置かれたホウレンソウのお浸しの小鉢に、はたと気が付いた。
顔を上げてイッテツを見ると、手元に視線を落としつつ菜箸で店の奥をさした。

まさか、と恐る恐るその先へ視線をうつすと、店の奥の柱の陰にの姿がちらりと見えた。

「あいつ、どうにかしてくれよ。これじゃあ商売あがったりだ」
「でも・・・」

本当は今すぐにでも会いに行きたい。
けれどこうも避けられているのに無理やり近づく勇気なんてない。

愛していると一方的に告げたまま、なにも聞かずに離れてしまった。
の手から零れ落ちたグラスが、そのまま答えを示していそうで。

姿を見せないに、ズクリと心に痛みが走る。

「俺は・・・まだ会えないです」

あんなに会いたいと願っていたのに、いざ目の前に迎えると物怖じしてしまう。
そんなカカシに、イッテツは菜箸をまな板の上に置いた。

「そうやって引き延ばして、三ヶ月後に何もなかったかのように帰っちまうのかい?」
「!」

イッテツは、感情の読めない瞳でカカシのことをまっすぐ見つめた。

「どうしてそれを・・・」
「お前さんの仕事仲間もここの常連でね」
さんもこのことを?」
「そりゃもちろん」
「・・・・」

言葉を失ってしまったカカシを見たイッテツは視線をそらし、再び菜箸を手に取った。

「臆病者はこの店に合わねぇよ。帰りな」
「・・・・」
「定食、包んでやるよ。弁当箱が向こうにあるんだ。取ってきてくれ」
「え?」
「向こうだ、向こう!」

イッテツが指差しているのは、が隠れている店の奥。

「さっさと取りに行かねぇと捨てちまうぞ!」
「あ・・・は、はい」

ガタガタと席を立ち、店の奥へと足を進めた。
柱の陰にさっきまで見えていたはずのの姿が、今はもう見えなくなってしまった。

明るい店内とは反対に、薄暗い店の奥。
その先に、がいる。

逃げ出したくなる足にぐっと力を入れて、店の奥へと足を踏み入れた。
イッテツに頼まれた弁当箱なんてすっかり忘れていて、の姿を探すことで頭がいっぱいだった。

さん」

いつまでも姿が見えないに思わず呼びかけると、少し離れた位置でガタッと家具が揺れる音が聞こえた。

さん、おれです」

が隠れている場所は特定できたけれど、怖がらせないように今の位置から声をかけた。


「お、おかえりなさい」


小さな、震えた声が暗闇から聞こえてきた。
久しぶりに聞いたの声に、無意識のうちに安堵感を覚えていた。

「・・・さんに会いたくて帰ってきました」
「!」

姿は見えなくても、が小さく息を吸った音が聞こえた。
視覚が奪われている分、代わりに聴覚が敏感になる。
の衣擦れの音、呼吸する音。
恋しくて堪らなかった相手が、今ここにいる証明。

「父さんに言わないでって言ってたのに」
「いや、イッテツさんじゃなくておれが勝手に来たんです」
「ひどいなあ、カカシさん」
「・・・・・」

きっとこの先にがいるのに、まだ暗闇に目が慣れていない。
どんな表情をしているのか、その言葉の意味とは。
無理やり微笑んでいるような、そんな声色が心を締め付ける。
きっとまた困らせている。
わかっているけど、もう気持ちが抑えきれない。

「・・・ひどいですよ、カカシさん」

ぽつりと漏らしたの声に続いて、小さくすすり泣く声が聞こえてきた。
その声を聞いた瞬間、頭で考える前に足が動いていて、が隠れている場所へと向かっていた。

「あ・・・!」

ようやく会えたは、部屋の隅っこに身体を寄せて小さく声を殺しながら涙を流していた。

さん」

突然現れたカカシに驚いているを見た途端、その身体を引き寄せて強く抱きしめた。

「いや・・・!やめて・・・」

離そうとカカシの胸を押し返そうとするだが、その腕にはまったく力が入っていなかった。

「やだ・・・、会いたくなかった・・・」

ぽろぽろと涙を流すの言葉に、なぜか本気の拒絶の色は見えない。

「おれは、会いたかった」
「・・・・」
さんのことが、本当に好きだから」

カカシの言葉に、ようやくは腕を下ろしてカカシの胸に顔を埋めた。
それでも相変わらず涙だけは瞳から溢れさせていた。

「いやだ・・・、いつか行ってしまうのに・・・離ればなれになってしまうのに・・・・」

ぽつりぽつりともれる言葉に、すすり泣く声が入り混じる。


「好きになっちゃダメだって、わかってるのに」


切なげなの声が、カカシの心を切り裂きそうだった。
の苦しみも知らずに、ただ一方的に想いを押し付けていた。

「いいんです、大丈夫です。おれがさんの思いをすべて受け止めてみせますから、だから・・・おれのこと、好きになってよ」

悲しみと愛しさの葛藤が涙となってとめどなく溢れているの頬を撫でて上を向かせた。
暗闇でも分かる、キラキラとした美しい瞳がこちらを向く。

「本当はわたしもカカシさんのこと・・・」

言葉を詰まらせるに、その葛藤を消し去るようにカカシは口づけた。

「ん・・・!」

は驚いて目を見開いていたが、優しいカカシの口づけにゆっくりと瞳を閉じた。
唇を離すと、はゆっくりと目を開けカカシのことを見つめた。

「わたし、カカシさんのことが好き」

涙を流しながらも、ようやく笑みを見せたにカカシも微笑んだ。

包み込むようにを抱きしめると、もカカシの背中に手を回し抱きしめ返した。
腕の中に愛しい人がいることに、じわりじわりと幸せが溢れてくる。

「ふふっ」

突然、腕の中で小さくが笑った。
気になって抱きしめていたを解放すると、は頬を撫でながらクスクス笑っていた。

「カカシさんのベスト、ゴツゴツしてて痛いです」
「あ・・・」

胸元の巻物を入れている部分がちょうどの頬に当たっていたようだ。

「ご、ごめん」

少し赤くなったの頬に手を宛がい優しく撫でた。

「わ、わたし、先に行ってますね」

は少し照れたようにカカシから離れ、小走り気味に明るい店へと出て行った。

「・・・・・」

その後ろ姿を見て、浮かべていた微笑みがストンと堕ちた。
互いの思いが通じて思わず幸せをかみしめていたが、カカシは初めて複雑な思いを抱えた。



『いやだ・・・、いつか行ってしまうのに・・・離ればなれになってしまうのに・・・・』


『好きになっちゃダメだって、わかってるのに』




胸が引き裂かれそうなの声は、十分すぎるほどカカシの心に染み入った。
あと三か月でこの里を去ってしまう苦しみは、カカシだけでなくも痛感していた。
だからカカシが去ってしまっても苦しまないように、お互い痛みを味合わないように必死に想いを打ち消していたというのに。

果たして自分の行なったことが二人にとって良かったことだったのか。

の苦しみや悲しみをすべて受け止める自信はある。

けれどまずはにそんな辛い思いをさせないために、残り少ない三か月でどうにかしなければ。


「カカシさん!父さんが飯が冷めるって怒ってます!」
「あ、はい!」

ひょこっとが覗きに来て、ぐるぐる悩んでいた糸がプツリと途切れた。
ええいままよ、なんて言わないけれど、こんな暗闇で悩んでいたところでどうしようもない。

暗闇から明るい店内へ。

二人で歩き出した未来も、きっと明るいはずだから。





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