翌朝いつも通り机に向かって、これから続々くるであろう書類に向けて早めに仕事に取り掛かった。 「・・・・?」 が、昨日までの勢いはどこへやら、明らかに書類の量が減っていた。 「カカシ殿、こちらのチェックを頼みます」 「はい。あの、今日って業者とか休みなんですか?」 「は?」 書類を届けに訪れた者を引き留めると、ぽかんとした顔で聞き返された。 「や、なんだか今日は書類も資料も少ないもんで」 「あぁ、なるほど。休みではありませんよ。綱手殿からの文をお読みではないですか?」 「文?」 部屋の端に乱雑に置かれている文の山。 急を要さない文は後で読もうと思っているうちに、大分たまってきてしまっていた。 「あ・・・わかりました。読んでみます」 「では、失礼します」 ドアが閉まった後、さっそく綱手から来たであろう文を探し始めた。 ほとんどが途中経過を連絡しろという指令文の中、どうやらこれだろうと思われる文が見つかった。 「・・・・」 内容は指令文を無視していることへのお叱りであったが、後半の内容に思わずあ・・・、と声を漏らしてしまった。 『三ヶ月後、帰還命令』 ということはカカシが引き受けた、里を発展させるという任務は果たされたということ。 それならば書類が急激に減少した訳も理解できる。 発展を遂げたならば、それを処理することもなくなるのだ。 「そっか」 カカシの口から漏れた言葉には、帰還できる嬉しさはなぜか微塵も感じられず、どこか寂しげな色を含んでいた。 その理由は、自分が一番わかっている。 三ヶ月後にはこの里を離れなければならない。 ということは、あの酒屋とも、イッテツとも、・・・そしてとも離れなければならないということなのだ。 頭のどこかでいつかは別れてしまう運命なのだとわかってはいたが、いざ実際その事実を突きつけられるとぽっかり虚無感に襲われた。 「はあ・・・」 どさっと椅子に座ると、相変わらずギィと悲鳴を上げた。 この椅子に座るのもあと三か月かと思うと、それもまた寂しい。 さきほど手渡された書類の処理もすぐに終わってしまい、やることのなくなったカカシはようやく木の葉宛てに文の返事を書きだした。 幾分か経ち、簡潔にまとめた文を伝書の鳥に渡そうと部屋を出た。 廊下を歩きながら窓から外を眺めていると、来た当初から随分景色が変わったと実感した。 この里に来てからもうすぐ二年。 今までの里の風情を残しつつも、経済や技術の発展をとげた今、確かにもうカカシが手を加えなくともこの里は成り立っていけるのだろう。 これからの三か月は、身辺整理と次にカカシの役割をはたす者への引き継ぎに費やすのだろう。 ならば今までの徹夜続きや深夜帰りはきっと減っていくはずだ。 今日はさっさと仕事を終わらせて、昨日約束した通りあの酒場へ足を運ぼう。 そして残りの就任期間を告げて・・・ 二人はどんな顔をするだろうか。 きっとイッテツはいつもの表情を崩さないだろう。 はどうだろう。 悲しんでくれるだろうか。 「・・・・・・」 考えただけで胸が苦しくなる。 別に、今後一生会えない訳ではない。 けれど、木の葉の里からこの里まで、どれくらい離れているのかは身に染みて感じている。 どんなに会いたくても、その声を聞きたくとも、すぐ近くにいられない苦しみがこんなにも辛いものとは。 モヤモヤとしながらも鷹に文を括り付け、木の葉に向けて飛び出させた。 これでもう後戻りできない。 「カカシさん、ちょうど文が届きましたよ」 「ん、ありがと」 どうせまた報告の催促だろうと分かっていても、とりあえず文を開いた。 「あ・・・」 思った通りそれは催促の内容だったが、とりあえずカカシ自身の様子も窺いたいから、ということでただちに木の葉に一時帰還の命令だった。 いま文だしたばっかりだよ・・・と後悔するも、文を括り付けた鷹はもう青空の彼方。 いっそこの文も読まなかったことにして無視してしまいたかったが、怒りのボルテージが伝わってくる内容にさすがに背筋が震える。 ガシガシと頭をかきながら、いつもの部屋へと戻った。 今までは少し目を離せば机の上に未処理の書類が散乱していたものだが、いまや数枚のみ。 これだったら、数日この里を離れていても処理が追いつかなくなることもないだろう。 仕方がない、これ以上綱手を刺激しないよう早めに顔を見せないと。 「ということで、一週間くらい木の葉に帰ることにしました」 「そうかい」 珍しく夕暮れ時からイッテツとの待つ居酒屋へと訪れたカカシは、さっそくそのことを報告した。 「いつから戻るんですか?寂しくなるなあ」 まだ店が忙しくなる前で、客はカカシだけ。 カウンター内でイッテツと並びながら料理の仕込みをするを独り占めできるのは、この時間に来れる人の特権だ。 「一応、緊急の仕事が入らなければ明日から。だから今日さんが見つけてくれた酒を飲もうかなって」 いざ二人を前にすると、あと三か月でこの里から去るということは言えなくなってしまった。 「あ、じゃあそんなにオススメできなくなっちゃったかも!」 「?」 「じゃん、これ!」 そう言ってが取り出したのは大きな酒瓶。 そのラベルには『火乃水』 「あっ、それって・・・!」 「そう!カカシさんの故郷、木の葉の里の澄んだ水を使って造られた木の葉酒造の名酒!」 「それなかなか手に入らないって聞くけど」 「そうなんです!そろそろカカシさん、木の葉の里が恋しいかな〜、なんて思って手に入れたんだけど、明日帰るならあまり意味なかったかな?」 へへ、と笑いながら慣れた手つきで酒を注ぐ。 出来立てのイッテツとのつまみ料理と共に、なみなみ注がれたコップを渡された。 「そんなことないです。本当に、嬉しい」 いただきます、と一言添えてから少しだけ口に含む。 「うわ、旨い・・・」 「よかった〜!」 サラリと飲みやすいのど越しに、木の葉の里の静かな澄んだ水を想わせる。 つまみのかぼちゃの煮つけにも箸をつけ、ほくほくと温かく甘いかぼちゃにピリッとした辛みがよく合う。 「ありがとう。手に入れるの苦労したんじゃないですか?」 「んー、でもカカシさんのためならって思ったら、ね!」 「・・・・」 の少し照れた笑いに、かああ、とカカシの頬も朱に染まっていく。 慌ててコップに注がれた酒をぐいっと仰いだ。 「あ、こら!そんな一気に飲むもんじゃないんだからな!」 イッテツに怒られながらも、これで少しは頬の赤みを隠せる理由になったんじゃないかな、とぼんやり考えていたカカシだった。 それからというもの、二人に離任することを告げるタイミングを逃し続け、そうこうしているうちに店が忙しくなってきてしまった。 「さん、注文おねがいします!」 「、これ持ってけ」 「すいませーん、おかわりー!」 ガヤガヤと騒がしくなった店内を、あちらこちらへと動き回る。 その姿を眺めながら酒を飲み続けていると、思ったより酒が進んでしまったようで頭がぼんやりしてきた。 こんな状態であした木の葉に帰れるのかと少し心配に思ったのもつかの間、突然となりの席にが腰かけてきて心臓が飛び上がった。 「ようやくひと段落つきました〜」 「おつかれさま」 「きょう逃したら一週間もお会いできないんだし、いまおしゃべりしないと!」 「それはどうも」 そろそろ控えておこうと思っていたのに、右手は再び酒を仰いでいた。 「ここから木の葉ってどれくらい離れてるんです?」 「んー、片道に一日かかるかな」 「忍者さんでそんなにかかるなら・・・一般人のわたしなんかだったら一週間くらいかなあ」 「さんが木の葉に?」 ドキリと心臓が震えた。 「もしもの話、ですけどね!」 「はは、そうですね。そしたら俺が抱えて連れて行ってあげますよ」 「あはは、なんだかそれって誘拐みたい」 クスクスと楽しそうに笑うに、それも悪くないなと考えてしまう。 あやうく言葉にしてしまいそうになってしまって、ぐびりと大きく一口酒を飲み干した。 いい加減アルコールの許容範囲を超えてしまったのか、周囲のざわつきもイッテツの包丁の音も、ぼんやりと頭に心地よく聞こえてくる。 「それにしても・・・さみしいな」 「なにをおっしゃいます、たった一週間じゃないですか」 「まあ、ね・・・」 いずれくる、永遠の別れのことだとは伝えずに。 それでも抑えきれない想いはぽろぽろ言葉で溢れてきてしまう。 「この店にも・・・二人にも会えないんですよね」 「、これ水。カカシに」 「あ、うん」 イッテツがカカシの様子に気が付きスッと水を差しだした。 が受け取ろうと腰を浮かせた。 「大丈夫、酔ってないです」 席を離れてしまいそうなの細い腕を掴んでしまった。 「カ、カカシさん、どうしたんです?疲れてます?」 なんとか腕を伸ばしてイッテツから水を受け取ったは、立ったままカカシのうなだれた肩に触れた。 掴んでいたの腕を解放し、代わりに肩に添えられた手に自分の手を重ねた。 「ほら、お水飲みましょう?」 明らかには戸惑っているのに、それでももう抑えが利かない。 離れるのがつらい、離れたくない、そんな子供のワガママみたいなこと言えるわけがない。 そんなジレンマが溜まりにたまって、の手を握る手に力が入る。 「カカシさん?」 「離れたくないです。さんのことを、愛してるから」 「!」 パリンッと鋭い音が店内に響いた。 「あ・・・わたし・・・」 床には粉々になったグラス。 そして驚きと戸惑いが入り交ざった表情のがわなわなと震えていた。 「ご、ごめんなさいっ!」 カカシに謝ったのか、グラスを割ってしまった事に対してイッテツに謝っているのか、カカシの手を振りほどいては店の奥へと走り去ってしまった。 「・・・・はあ」 一瞬静かになった店内はすぐにざわめきを取り戻した。 のあの表情と、ガラスが割れた鋭い音で瞬時に頭が覚醒した。 そうなった途端に後悔と諦めと鬱々とした気持ちが押し寄せ、居たたまれなくなったカカシはの消えた店の奥を眺めながら床に散らばったグラスを拾い集めた。 「イッテツさん、これ、すみませんでした」 集めたガラスをカウンター内のゴミ箱へと運び入れるも、イッテツの顔はどうも見られなかった。 「・・・カカシ」 「はい」 ぼそっとイッテツの感情の読めない声。 臆病者はカウンターから出て、元の席へ戻った。 「あんまり変なこと言わないでくれよ。あいつも年頃だ。そんなこと、からかって言うものじゃない」 イッテツの、を想う気持ちが痛いほど伝わってくる。 「からかってません。おれ、本気ですよ」 コップに残った最後の酒を飲み干して、それでもまだイッテツの顔も見れずお金を置いて席を立った。 「ごちそうさまでした。さんに、酒のお礼言っておいてください」 「・・・・」 そのまま振り返らず、店のドアをガラガラと開けて出た。 最後にドアの隙間から、いつもの癖でを探してしまった。 店の奥、柱の陰にの服の袖だけが見えていた。 1<<< Novel TOP >>>3 |