が目を覚ますと倉庫の中はほのかに明るく、またしても昼間を迎えていることがわかった。

どれくらい身体を交えていたのか、今は何時なのか。
時計もなければ、なにか明確な目安となるものもない。

鉛のように重たい身体を起こそうとしても、力が入らない。

けれど下半身に感じる気持ちの悪い感覚に、震える腕で上半身を起こした。


「あ・・・」


はらりとマントがはだけて、カカシが自分にマントをかけてくれたことに気付いた。
あのあとカカシも横になったはずなのに、気づいたらもうこの場にはいない。

なんとか身体を起こし、いろいろなものを流し落とすためにシャワー室へと消えた。



*    *    *    *    *



それからというもの、何度夜を明かしてもカカシは倉庫に訪れなかった。

この前の日数をゆうに超えてもカカシは姿を見せなかった。
時計もなく、することもなく。
だだっぴろい倉庫でぽつんと一人、退屈な世界。

いつものように食料品は届く。
それだけが、姿が見えないカカシの唯一の生存確認となっていた。
突然現れる忍犬にカカシのことを尋ねようにも、気づかないうちに現れて荷物を届けたらすぐに消えてしまう。
きっとカカシにとっても、この忍犬を通しての生存確認をしているのだろう。
届けられる食料はの体調を気遣ってか、はたまたただの気まぐれなのか、比較的食べやすい果物が多く届いた。

がりがりと床に線を書いて、最後にカカシが来てから何日たったのか記録した。

どうしてか、カカシが来るのを心待ちにしている自分がいた。
倉庫に現れたらまたきっと辛い思いをするだけなのに、地面の線を一本書き足すたびに得も言われぬ不安感がの心を支配した。


ある日からぱたりと忍犬が訪れなくなった。
欠かさずに届けられた食料も来なくなり、唯一のカカシの存在が消えてしまった。

食べきれなかった果物がたくさんストックしてあったため食べ物や飲み物には困らなかったが、
ついに見捨てられたのかとは落胆し、地面を埋め尽くす線を水で洗い流した。
きっとこのまま一人で、こんなみすぼらしい格好のまま死んでいくのだろう。


「いっそのこと、殺しに来ればいいのに」


どうせ死ぬなら、カカシの手で殺された方がよっぽど幸せだろう。

やつれた声でそう呟けば、倉庫の外の草木がガサガサとうなりを上げた。
最初の頃は近づいてくる葉がこすれる音にカカシが来たのかと身構えたが、何度か聞いているうちに獣が通って音を奏でていることに気が付いた。

だから今回も特に気にしていなかった。

倉庫のドアが開くまでは。


「・・・?!」


ギイィ、と錆びた音を出して開いたドアの先には、見慣れたシルエットが佇んでいた。

「カ、カシ・・・?」

久しぶりに見た外は燦々と晴れていて、薄暗い倉庫から見るとカカシの表情は逆光で読み取れなかった。

もしかしたら、ついに殺しに来たのかもしれない。
けれどそんなことも構わず、無意識でカカシの方へ歩み寄っていた。

カカシもゆっくりとした足取りでに近づくが、その歩き方は疲労感に満ちていた。

「よかった、死んでしまったのかと思った」

青白く冷たいカカシの腕に触れ、は安堵の声を上げた。
それを聞いた途端、カカシの光を失った目は驚いたように開かれた。

「・・・なんで心配なんかできるの?俺はこんなひどいことしてるのに」

バツが悪そうに目を伏せるカカシに、は微笑んだ。


「ここの世界には、あなたしかいないから」


どんなに絶望しても、この世界はカカシとだけ。

「ついにお前も狂ったの?」

なぜか泣きそうな表情を浮かべているカカシは、のことを辛そうに見つめた。

「えぇ、そうかもね」

きっともう、頭はおかしくなってしまったのかもしれない。

けれどここは二人だけの世界。
狂った二人の世界。
それはゆるぎない真実。

「この世界を成立させるためにあなたが私を必要とする存在のように、私もカカシが必要なの」
「・・・この前の、聞いてたか」

の言葉にカカシは気まずそうに視線を落とした。


それはもう数週間前になってしまった、最後にカカシが訪れた日のこと。
すでには体力や気力を使い果たし意識朦朧となっていた。

そんな中、カカシの優しい掌がの頬を包み、心が引き裂かれそうな悲痛な声が聞こえてきたのだった。

「俺はもう、ここの世界でしか生きていけない」

悲愴に満ちたカカシの声が、ほとんど意識のないの耳に響いた。
ほとんど独り言のような、むしろ心が壊れて言葉が溢れ出してしまったような、そんな切ない孤独な声。

「俺が俺でいられるためには、が必要みたいだ」

朦朧とした中それがどういう意味なのかを考える前に、再びカカシはつぶやいた。


「こんな世界、壊れてしまえばいいのに」


果たしてそれが何を意味しているのか。

隣にカカシが倒れこんだと同時に、ついにも意識を飛ばした。



「言葉の意味を考える時間なんて、おかげさまでたくさんあったわ」

ちらりと、水で消してしまった線を書いていた場所へ視線をずらした。

「でも、やっぱりわからない。どうしてあなたが壊したいのか」

勝手に創り出した世界を、自分にだけ都合のいい世界を、どうして創り出した本人が壊したいと言うのか。
素直にそう尋ねれば、カカシは小さくため息をついた。

「・・・全てをなくしたくなったんだ」

そう話し始め、ぽつりぽつりと言葉をつづけた。



期待をされるのも、それに応えるのも、なにもかもに辟易した忍の世界。

「君は白い牙の息子なんだって?」

「君の師は黄色い閃光だと聞いたよ」

偉大な名を担いで生きることはとても息苦しい。
人からの期待と羨望は、次第に嫉妬と妬みへと豹変した。
それはもう窮屈で苦しくて、どこにも逃げ場のない暗闇だった。

街にはいろんな自由人がいたけれど、その中で君だけが目に付いた。


「お前はなにも悪くないけど、あの日おれの前にいたことが不幸だったのかな」


カカシの懺悔のように続く言葉に、はただ耳を傾けた。
大きな体からあふれ出る禍々しいオーラがいやでも伝わってくる。
足に力を入れていないと、その圧倒的なオーラに倒されてしまいそうだった。


周りが想像する『はたけカカシ』を壊してみたいと思った。
そう思った瞬間、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった気がした。

街を歩くを後ろから静かに攫い、手慣れた手つきで意識を失わせる。
行動に移すのは簡単だった。

人を恐怖のうちに支配するのは気持ちがいい。
着実に『はたけカカシ』は死んでいった。
己の汚い欲望を吐き出し続け、溜まりに溜まった鬱屈した心の塊も次第に小さくなっていった。

けれどかわりにぽっかり空いた穴は愛情を求めた。

それがたとえ虚偽の愛でも。


無理やり自分を求めさせて、自分に依存させて
強引に求めさせて、自分の存在を確かめては自己満足に浸っていた。

こんなバカらしいこと、すぐに終わらせられると思っていた。

次第に背徳感も罪悪感も増していき、恐怖に包み込まれた。
嘘の中で生きる自分は、果たして本当に望んでいた『はたけカカシ』なのだろうか。

都合のいい世界で生きる虚像の中の自分は、一体誰なのだろうか。

偽りの世界から離れている時間が長ければ長いほど、恐怖からは逃れられるものの、絶対的罪悪感に押しつぶされそうで、
それはもう目も当てられないほど恐ろしい存在だった。


「お前を殺して、俺も死のうとした」


いっそのこと、なにもなかったことにしたかった

こんな感情も一緒に壊してしまいたかった


「それでものことは殺せなかった」


依存させたかったはずなのに、依存していたのは自分の方だった。
まるで体の一部になってしまったかのように失うことができない


「ほんとはこんな世界、壊してしまいたい。けれど、を失うことだけは考えられなかった」


今まで見せたことのない弱り切った表情を浮かべるカカシに、は言葉が見つからなかった。

「ごめん・・・もう分からなくなったんだ。ごめん、

俯いたまま、カカシは言葉をぽとりぽとりと落としていた。

「どうして謝るの?まるで、いい人みたい」

そっと呟いたの声が、涙で震えていた。
ここにきて、何度涙を流したかわからない。
けれど、こんなにも暖かな涙をあふれさせたのは初めてだった。


「俺は一体、誰なんだろう」


絞り出したカカシの声は、悲哀にも絶望にも、懇願にも聞こえた。
泣き方を忘れてしまったカカシの瞳は、相変わらずの暗闇が広がっていた。
光を探して迷子になって、力を失った哀しい瞳。

「あなたがカカシになるために、わたしがあなたを救ってあげる」

カカシの冷たい手を取り、優しく包み込むように撫でてやれば、雪が解けるようにカカシは微笑んだ。

はじめて見たカカシの柔らかな微笑み。
その顔を見つめていると、ぐいっと手を引っ張られてカカシに抱きしめられてしまった。

あぁ、もうすこし見ていたかったな

あたたかな体温に包まれて、もその身体を優しく、そして強く抱きしめ返した。


「俺はもう、なしでは生きていけないみたいだ」


ふと見上げたカカシの瞳にはの顔が映りこんでいて、ようやく暗闇の中に小さな明かりが灯っているようだった。












3<<<     Under TOP
Novel TOP