※暗部時代/同僚/




















汗を吸った服が皮膚に張り付くのが気持ち悪かった。ただでさえこのじとじととした湿気を含んだ暑さが不快であるというのに。この時期だけは砂の国の湿度の無い気候が羨ましく思える。
加えてこの時期に厄介なのは、青々とした葉が生い茂る森だ。というのも対象を追うのに、不自然な葉のざわめきを立ててはいけないからだった。(とはいえ真冬の枯れ木も隠れる場所が少なくてそれはそれで困ったものである。)
俺とに与えられた任務は盗まれた巻物の奪還及び尋問―そこから暗殺に至るかはその時の状況による―だった。新生中忍班の任務失敗の尻拭いというわけだが、彼らもただで失敗したわけではなく、特有の匂いを放つ薬草を使って敵の小隊にマーキングをしていたため、対象を見つけるのは容易かった。
どうやら四方へと散らばって其々が逃げているようだが、こういう場合ただ闇雲に逃げ回っているのではなく、それなりにフォーメーションというものがある。いくつかのパターンさえ頭に入れておけば、一人捕まえさえすれば仲間もすぐに捕まるだろう。特異な術を使う者がいたなら話は別だが、上がっている報告にそういった情報は特にない。
最初に言った通りこれは尻拭い的任務で、さして難易度が高いわけじゃなかった。ただ問題は誰が巻物を持っているか、または隠していた場合においてどこが在り処なのか、であり、そこは勘やら運に頼るしかないのだった。























と落ち合う場所へ向かう途中にある町―というよりも村に近い規模―に差し掛かった時、何やら一部分だけ明るい場所を見かけた。
家々から少し離れた拓けた場所に大きな櫓が立っていて、きっと普段は物見の役割を果たしているに違いないそれは、土台に紅白の幕巻がぐるりと巻かれており、いくつもの長型提灯が提がっていた。さらにその櫓のまわりを浴衣を身に纏った人々が囲んでいて、陽気な横笛と和太鼓の音に合わせて思い思いに踊りを楽しんでいた。
もうそういう季節なのかと思い至ると同時に、この光景が今の自分から最も対地にあるような気がしてならなかった。
かたや泥にまみれて踵を減らして里の機密に関する情報を追い求め、かたや緊張感の「き」の字もなく目の前の楽しみに耽っている。
とはいえ自分だって任務さえなければ普段やってることは忍以外の者となんら変わりはないのだから、別にそのことに対して何かを思ったりはしなかった。が、忍術も何も使えない、いやそれ以前に忍ですらなかったなら自分は生きていけただろうか、ああやって楽しむ裏に命の危険が無数にあると知らないでいられただろうか、ということをしばしば思いもする。
忍じゃなければ忍のことなど正直何も分からないだろう。世の中にはなにやら凄い身体能力を持った人間とそうでない人間がいる、ぐらいの認識しかないだろうし、日々里のためお勤めご苦労さんなどと呑気なことを思いながら毎日仕事をこなしていたに違いない。
忍である彼らはきっと自分たちを危ないことから守ってくれる、だから安心して自分らは自分らの仕事をすればいい、などと思ったりして、里と敵対関係にあるのがどういう国(または里)であるのか考えたりもしないのだろう。
忍なら自国だけでなく他国の歴史をアカデミーで習うし、ある程度の勢力図というのも頭にインプットされている。そういう世界に慣れてしまったせいか、自分たちに危害を加える可能性がある物事の情報なしに、毎日を過ごしている一般人の感覚の方が怖かった。

とかなんとか、だからどうしたんだとくだらないことを考えながら、祭りの町を抜けてすぐの森の中、約束の場に先にいたのはどうやらの方だった。
彼女は俺と同じ犬の面(彼女のは隈取があるだけで他に模様は入っていない)を頭の横にずらして素顔を晒しており、切り株の上で足を抱えて三角座りで待っていた。見たところ怪我もなさそうだし服も汚れていない。

、おまたせ。巻物は?」
「ばっちり」

そう言うとは腰のポーチから回収に成功した巻物と取り出してみせた。

「奴らは?」
「巻物の中身のことは何も知らなかったみたいだから、気絶させてぐるぐる巻きで放置」
「そっか」

息の根を止めないところがらしい。以前組んだ奴なんて、百パーセント信用できないんだから殺すしかないとかかんとか言っていたっけな。もちろん場合によって判断せよ、とのお達しなのだから結果がどちらだろうと構わないのだが。

「カカシも見たでしょ、途中にお祭りあったの」
「ああ、あったね」
「この人たちも自分のところのお祭りとかに行くのかなって思ったら、なんか、踏み切れなくって」
「いいんじゃない?巻物の中身知らないんならさ」
「カカシのそういうとこ助かる。この前組んだ先輩なんて目をギラつかせてとどめ刺してたもの」
「ま、そういう奴も必要だけどな」
「なんだかなあ」

彼女の言うことが分からないわけじゃなかった。相手だって同じ人間だ。家族や友達、恋人だっているだろう。それぞれがそれぞれの守りたいものを胸に、里や国を背負って戦っているのだ。
誰もが平和を望んでいるのに、そんな世界がちっとも来る気がしないのは何故だろう。同じゴールを目指してるはずなのに、どうしてその過程が違うのだろう。
そんなことを思いはすれど、その答えがいくつもあることを実は皆知っているのだ。平和にも様々な種類があるし、忍が廃業になったら食い扶持に困る奴だって沢山出てくる。
結局、変な錘を背負ってもがいているのだ。誰しも。それが海底なのか空中なのかは神のみぞ知るというやつで、皆酸素不足のまま先へも進めず後にも戻れず。困ったものだ。

「あー疲れた」

面を剥ぎ取って、芝の地面にドサリと腰を降ろす。嫌だと思っていた不快な外気が、久方ぶりに露になった肌の上をひんやりと撫で去っていく。「ひんやりと」などと思ってしまうほど、面には通気性の「つ」の字もないのだ。
時たまちくりと肌に草の尖端が当たるが、芝の冷たさもまた心地よい。これで風が吹いてくれたら最高なのに、と思ったがそんなことは都合よく起こりはしなかった。

「木の葉もそろそろお祭りかな」
「そうかもな、そういやこの前テウチさんが祭りに出すラーメンのレシピ考えてたっけな」

切り株に座っていたが俺の横に降りてくると、拍子、彼女の髪の毛がふわっと宙に舞い上がって、暗い夜にぼんやりと白く浮き上がる滑らかそうな項が目に入った。

(・・・えろい)

それは噛み付きたいと思うほどに―…。
男はどうして女の項が気になるのか。普段見えない場所だから?それとも急所の一つだから?でもとにかく項にはそそられる。こんな湿度の高い日だからこそ、汗ばんだ肌に産毛が引っ付いているのがなんともいえなくて良い。
きっと浴衣が似合うんだろうなあ、とあらぬ妄想が捗ったりなんかして、さ。

「例の彼と行くの?」
「ううん。この前振られちゃった」
「え、初耳」
「君は一人でも生きてけるよ、だって。やっぱり普通の人と恋は出来ないのかなあ」

いかんいかんと思考を元に戻して話をすればこれなんだから、たまったもんじゃない。
てっきり上手く行ってるとばかり思っていたのに。割と長い付き合いだが、彼女の男遍歴は一般人ばかりで忍とは恋仲になろうとしなかった。何故かと聞いてみれば、自分より先に死なない人が良い、からだそうだ。
人なんていつ死ぬか分からないものだが、それでも忍の方が命を失う危険は遥かに高いだろう。家で待っててくれる人がいるのはとても嬉しいものだし、任務に出てる側からしても、なんとしてでも帰ろうと思うものだが、そういう落ち着いた関係に至るまでが難しいのだ。
特に暗部ともなればその仕事は口に出しては言えないものばかり。今日は何人殺しました、今日は何人拷問しました、なんて話でもしようものなら食事も不味くなるというものだ。

「この前彼の家に大きなクモが出てね、なんで可愛く「こわ〜い」って言わなかったのか後悔してるんだけど、気付いたら千本投げてて、あの時の彼の引いた顔、忘れられないなあ・・・」
「ま、しょうがないでしょ。男が忍パターンならまだしも、女側じゃねえ。立つ瀬ないわな」

そりゃそうだ。忍の男が一般人の女の前で、虫を駆除してみせたり、暗い夜道を付き添ってやったり、それならモテもするだろうが、逆だったなら男の立場が総崩れだ。
一人で生きていけると言われても仕方がないというものだし(事実忍の方が稼ぎだってよっぽど良いだろうし)、家事が好きで主夫にでもなりたい男を見つけない限り、くのいちの場合は一般人とは将来を見据えた付き合いは殆ど出来ないだろう。
それかアカデミーやらの教育研究関連にでも部署変えすれば良いのだろうが、彼女はずっと暗部で生活してきたのだ。良くも悪くももうそこから抜け出せないし、出来たとしても人手が足りなくなれば直ぐに声が掛かる。

「カカシは?誰かとお祭り行くの?」
「相変わらず独り身なもんでね」
「・・・さみしいな〜私たち」
「ほんとにね」

はあ、と二人でため息をついて。
遠くで祭りが行われているのが嘘のように辺りは静かだった。周りの緑が二酸化炭素を吸うのと同時に騒音も吸い取りでもしたんだろうか。星もあまり出てはおらず、ただただ湿度だけが蔓延る夜だ。
そろそろエアコンのフィルター清掃でもしないと、と思うぐらいに夢はなく、遠くない日に行われるだろう祭りのことを気にかけるぐらいには欲はあった。
最後に恋人と呼べる名を持つ人間がいたのはいつの頃だったろう。こんな血生臭い毎日だ、生活の一部に誰かを入れるなんて考えたこともなかった、けれど。

「失恋祝いに夏祭り、行く?」
「カカシは人混み嫌いでしょ」
「お前となら良いよ」
「それ告白?」
「違うよ」
「う、自惚れたみたいで私が恥ずかしいじゃない」
「じゃあお前俺のこと好きなわけ?」
「それは」
「ほらな」
「・・・嫌いじゃないよ?」
「ん?それ告白?」
「違います」

手を伸ばそうとすれば逃げていく。ふわりと流れる風のように。掴みどころがないんだよ、お前は。
だから俺は追いかけるのをやめたんだ。不毛すぎて、やめたんだ。今日みたいな湿度の中にずっといるのはごめんだから。

「そうだなあ、あ、ねえ、浴衣着てよ」
「行くの確定なの?」
「それで髪もアップにしてさ、俺に項見せて」


のらりくらりと、かわしていくと思ったのに。


「カカシが屋台奢ってくれるなら良いよ」


ほらな、やっぱりお前は掴みどころがないんだよ。


(俺もまだまだガキってことかね)






















(2015.8.15)